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必殺!仕事人~針と糸のエルフ~
ファンタジー世界の片隅にある、石畳が美しい街「レンガポート」。その一角に、小さな仕立て屋があった。店の名は『ヌイエルの気まぐれアトリエ』。店主は、陽の光を浴びて輝く金の髪と、湖のように澄んだ翠の瞳を持つエルフの女、ヌイエル。彼女が作る子供服は、あまりにも独創的なデザインで、親たちの間で「一周回って芸術品」と囁かれていた。 「どう、ガンテツ! この新作、名付けて『爆誕!きのこフェアリー』よ! 背中の巨大なキノコの飾りが、子供たちの夢と冒険心を育むの!」 ヌイエルが自信満々に掲げたのは、背中に毒々しい斑点模様のキノコがくっついたロンパースだった。 店の隅で、酒樽を修理していたドワーフのガンテツは、ちらりとそれを見て、深いため息をついた。 「…どう見ても歩くシメジだ。これを着せられた子供の気持ちを考えたことがあるか?」 「失礼ね! これはファッションの最先端よ! ガンテツには、この繊細な美しさがわからないのよ」 「俺はドワーフだぞ。繊細さより剛健さの方が得意分野だ」 二人の不毛な言い争いは、店のドアベルが鳴ったことで中断された。入ってきたのは、目に涙を浮かべた若い娘だった。 「あの…裏のお仕事を、お願いできないでしょうか…」 娘は震える声で言った。彼女は街角で人気のパン屋『ふっくらパン』の一人娘、アンナだった。話によれば、悪徳商人ゴルドーの罠にはまり、多額の借金を背負わされた父親が、店の権利書と共に屋敷へ連れ去られてしまったという。 「ゴルドーは、父に代わって私を差し出せば借金を帳消しにすると…」 「まあ、なんてこと。許せないわ」 ヌイエルは目に強い光を宿した。アンナが希望の眼差しを向ける。 「報酬は、これだけしか…」 アンナが差し出したのは、小さな革袋。中には銅貨が数枚。 「いいのよ、そんなもの」 ヌイエルは優しく微笑んだ。アンナの顔がぱあっと明るくなる。 「ただし」とヌイエルは人差し指を立てた。「あなたの店の権利書と、ゴルドーの隠し財産の半分を成功報酬としていただくわ。そのお金で、東方から最高級のシルクと幻の虹色レースを取り寄せるの!」 「…え?」 「おい、お前な…」 ガンテツが呆れるのをよそに、ヌイエルはアンナの手を取り、力強く頷いた。 「決まりね! 今夜、あなたの涙を拭ってあげるわ」 その夜。二人はまず、情報収集のために場末の酒場へと向かった。目指す相手は、この街の裏を知り尽くした情報屋、通称「まこと」。カウンターの隅で、一人静かに月見そばをすすっている男がいた。黒い着流しのような服を着た、渋い魅力を持つ東洋風の男だ。 「まことさん、ゴルドーの情報を」 ヌイエルが声をかけると、まことはゆっくりと顔を上げた。 「…ゴルドーの屋敷かい。西の区画にある一番でかい屋敷だ。用心棒に、腕利きのゴブリン剣士を雇ってるって話だぜ。奴の名はギザ。返り血を浴びるのが趣味の、厄介な野郎だ」 まことはそう言うと、またそばをすすり始めた。 「ありがとう。助かるわ。ところでそのお蕎麦、美味しそうね。一口ちょうだい」 「……」 まことは無言でヌイエルを見つめ、やがて諦めたように、そばの入った器を少しだけ彼女の方へ寄せた。 月が雲に隠れる刻。ゴルドーの屋敷の塀を、二つの影が軽々と越えた。 ガンテツが手製の道具で錠前を外し、二人は音もなく内部へ侵入した。きらびやかな調度品が並ぶ廊下を慎重に進む。 一番奥の部屋から、怒声と悲鳴が聞こえてきた。そっと扉の隙間から中を覗くと、縄で縛られたアンナの父親と、葉巻をふかす肥満体の男、ゴルドー、そしてその傍らに立つ、顔に大きな傷跡があるゴブリンの姿があった。 「さあ、権利書にサインしろ! そうすりゃあ、娘は丁重にもてなしてやるぜ。グヒヒヒ」 下品に笑うゴルドー。その時、部屋の扉がゆっくりと開いた。 「今宵は月が綺麗ですわね。こんな夜に、野蛮な真似はおやめなさいな」 優雅に現れたヌイエルに、ゴルドーたちが目を見開く。 「な、何者だ、貴様は!」 「通りすがりのお裁縫好きのエルフよ」 ヌイエルが微笑んだ瞬間、用心棒のゴブリン、ギザが動いた。抜き放たれた剣が、銀色の軌跡を描いてヌイエルに迫る。 「面白い刺繍の服を着ているのね。でも、センスは悪いわ」 ヌイエルはひらりと身をかわし、懐から銀色に輝く一本の針と、蜘蛛の糸のように細く、それでいて鋼のように強靭な糸を取り出した。 「女と侮るなよ!」 ギザが再び斬りかかる。ヌイエルは指先で糸を弾いた。糸は生き物のように宙を舞い、ギザの剣を持つ腕に絡みつく。 「なっ!?」 「この糸は『エルフの涙』。恋の悩みを持つ乙女の涙で紡がれた、決して切れない魔法の糸よ」 ギザがもがけばもがくほど、糸は腕に食い込んでいく。動きを封じられたギザの喉元に、ヌイエルはすっと近づき、針を構えた。 「服の綻びは、大きくならないうちに繕わないとね」 銀針が閃き、ギザは声も出さずに崩れ落ちた。 「ひ、ひぃぃぃ!」 腰を抜かしたゴルドーが、床を這って逃げようとする。 「助けてくれ! 金ならいくらでもやる!」 「もちろん、お金はいただくわ」 ヌイエルは微笑むと、糸を操り、ゴルドーの手足の腱を正確に断ち切った。 「ぎゃあああ!」 「これで、もう二度と悪いことはできないわね」 そこへ、金庫を破って財宝の袋を担いだガンテツが現れた。 「おいヌイエル! こいつ、思った以上に溜め込んでやがったぜ!」 「まあ、素敵! これで幻の虹色レースが10メートルは買えるわ!」 「依頼料と経費を引いた分はきっちり山分けだからな! お前が勝手にレース代にするんじゃないぞ!」 ヌイエルの金の計算のルーズさを知っているガンテツが釘を刺す。 「細かい男はモテないって、お母さんから教わらなかった? あら、あなたには無縁の話だったかしら?」 ガンテツのこめかみに青筋が浮かんだ。 「冗談、顔だけにしろよ」 無事、パン屋の親父を助け出し、権利書を取り戻した帰り道。 「悪党の息の根を止めるのは簡単よ。でも、絶望という名の服を着せて、一生みじめに生かさせるのも、また一興ね」 冷ややかに呟くヌイエルに、ガンテツは少しだけ背筋が寒くなるのを感じた。 「お前、本当にただのお裁縫好きか…?」 「悪党の始末は、ほつれた糸を根元から断ち切るのと同じだよ。恋と一緒だな」 「どこがどう一緒なんだよ!」 月明かりの下、いつものようにギャアギャアと口論しながら、二人の影は夜の闇に消えていった。 遥かなる天空より地上を見下ろせば、人々の営みは宝石箱をひっくり返したような、ささやかな光の集まりに見えることでしょう。 その光の一つ一つに、喜びや悲しみ、そして誰にも言えぬ願いが込められているのです。 街が深い眠りに包まれるミッドナイト。その静寂を縫うように、闇から闇へと駆ける影があります。彼女が手にしているのは、剣でも魔法の杖でもありません。ただ、一本の冷たい針と、決して切れぬ糸。 晴らせぬ恨みの涙を拭い、悪しき者たちの運命の糸を断ち切るために、彼女は今宵も闇を舞うのです。 夜の帳がまた一つ、小さなため息を優しく包み込んでいきます。 あなたの、そして私の、眠れぬ夜のために。
