1 / 4
秘密のナイトプール
夜の校舎は静まり返り、足音すらも吸い込まれていくようだった。 教員室で残務を終えたばかりの新米教師、紫峰怜花は、ふと窓の外から聞こえたかすかな音に眉をひそめた。 「……プール?」 季節外れの夜風がカーテンを揺らし、外の水面がゆらりと反射する。まさか生徒が——。心配になり、懐中電灯を手にして静かにプール棟へと向かう。 扉を開けると、ライトに照らされてきらきらと濡れた黒髪が輝いていた。 「……狭霧さん?」 水の中にいたのは、青い競泳水着を身にまとった狭霧華蓮だった。肩まで水に浸かり、神妙な面持ちでプールサイドの目盛を見つめている。 「先生、ちょうどいいところに。スポーツ選手いえ人類が0.01秒を削るためにどれほどの努力を積み重ねてきたか、ご存じですか?」 「……ええと、それは陸上の話では?」 「水泳も同じです。水の抵抗、フォームの改善、水着の素材まで——わたし、いまその実験をしているのです」 怜花は呆気に取られながらも、少し感心したように唇を引き結んだ。確かに、科学の目線で見れば一理ある。しかし—— 「……さっきから浮かんでるだけじゃない?」 華蓮はゆるりと水面に仰向けになり、星のように輝く天井の灯を見つめたまま、静かに口を開く。 「……実は、・・・・・泳げません・・・・」 「えっ」 「でも思考と観察はできますから。浮力を感じながら、スピードのことを考えてみようかと」 「つまり、泳げないのに実験を始めたってこと?」 「そうなりますね・・・・・」 怜花は思わず吹き出した。笑いをこらえながらプールサイドに膝をつき、静かに差し出す。 「はい、まずはプールから出て。レポートはあとでね、浮いてないで地に足つけなさい」 「それは物理的にも精神的にも難題ですね……」 水音と笑いが、夜の静寂に溶けていった。
