1 / 2
【どら焼き】 “ドラヤキュラ伯爵の晩餐”
何世紀も生き続けた不死(アンデッド)の怪物・・・とは特に関係のない、甘党で知られる伯爵である。19世紀末の人物であり、1850~1893年を生きた。享年42歳。 甘党だった事もあり、もちろん血糖値は高かっただろう。当時はインスリンが未発見だったため、わずか42歳で没したと考えられる。 ちなみに彼が特に好んで食べたのは東洋の和菓子『どら焼き』であり、自分の名前と似た和菓子があると聞いて食し、それ以来大好物だったと言う。 とは言えこの絵画を見て分かる通り、彼が食しているのは明治時代後期に日本で生まれたどら焼きであり、このどら焼きは彼の死没後に誕生したはずの形状である。 このことから、“ドラヤキュラ伯爵の晩餐”は彼の死没後に描かれたものなのではないかとの疑惑が浮上し、学術的価値に疑問が生まれそのルーツが調査された。 だが結果は彼の存命中に描かれたものに間違いないとなり、この絵画に描かれたどら焼きの形状は「ある種の予言だったのでは」と騒がれ、描いた画家も流行り病で死没していた事が大いに惜しまれた。 現実的なところ、どうして西洋から伝来したパンケーキに影響を受けて誕生したはずのどら焼きがそれ以前の西洋に存在したのか、という疑問には一つの推察ができる。 恐らくはどら焼きなる和菓子の再現に困った菓子職人が、流行りのパンケーキに小豆餡を挟み代用品として伯爵に献上した。それがたまたまパンケーキに強い影響を受けた日本の新型どら焼きと似通ったのだろう。 ある意味収斂進化みたいなものである。だが結果的に、どら焼きの事を名前しか知らなかったドラヤキュラ伯爵は大いにこれを気に入ったといったところか。 また、ドラヤキュラ伯爵には一つの噂がある。「彼は実は吸血鬼で、どら焼きを食べる時もまるで血を啜るように中身を吸い出して下品に食べていた」というものだ。 確かに彼の風貌は犬歯が目立つ。描いた画家だって、そんな品の無い食べ方を描きたくなくて普通の食べ方に描いた可能性もある。だが、やはりこれは単なる噂であろうと考えられる。 彼の死から4年が経った1897年に発表された『吸血鬼ドラキュラ』のイメージがあったせいで、そんな噂が後付けで立ったのだろう。もし本当に吸血鬼だったら、糖尿病で死んだりはしないはずだ。 仮に死んだふりが必要だったとしても、大の甘党であった彼が人前から姿をくらましたまま甘味を我慢し続けられるわけがない。どら焼きを求めて人里にさまよい出て来ていただろう。 だから彼がドラキュラ伯爵と似ているのは偶然であり、ドラヤキュラ伯爵は結局のところ「どら焼きが大好物の甘党伯爵」でしかないのだ。 そう思っておきたまえ。 ※2枚目はオマケ画像で、丁度伯爵と同じ時代を生きた『フィンセント・ファン・ゴッホ』の絵画風に仕上げてみたものです。星月夜の影響が強いですね。
