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前世で徳をつんだリンゴ
今は昔、狩人といふものありけり。 名をば、秋山の太郎となむいひける。 その人、日ごと山野に入りて、小さき獣を射取り、肉を食ひ、皮と骨とを売りに出でて、世を渡りける。 ある日、かの太郎、山深く入るに、はなはだ立派なる牡鹿一頭、木の枝を食みてありけり。 その大きさ、尋常ならず。 太郎、思はず弓を引きしぼり、矢をつがへけり。 されど、 「この大きさなるをば、我一人にて食ひ尽くすこと難からむ。肉腐りて無駄にならむこそ口惜しからめ」 と、心のうちに憐れみて、矢をば下ろしけり。 その日はつひに獲物なくして帰りぬ。 ほどなく、太郎、病に冒されて、つひに世を去りぬ。 死してのち、その霊、天に昇りて、いつぞやの牡鹿の前に立ちたり。 牡鹿、静かに言葉を発して言ふやう、 「汝、あの時、我を射て肉とせば、空腹を満たし、いささか長らへしこともあらむ。 されど、汝は我が肉を食ひ尽くすこと能はず、腐らせて無益ならむと思ひて、手を下さざりしことよ。 殺生を業とせるものながら、善き行ひをなしたり。褒美として、生まれ変へてしむべし」 さらば、太郎の霊は、一つぶなる種となり、よき家柄の美しき娘が住むところの、林檎の木に生まれ変はりけり。 幾年か経ちて、その木、一つぶの林檎を実らせたり。 風に吹かれて、娘の手の中に落ちぬ。 娘、その林檎をいとうつくしと愛で、さまざまに可愛がりて、つひに美味しと食ひけりとなむ。 右衛門府生 雲 陀芭 延喜十八年 冬の末、九条の南の邸にて これは前世で徳を積んだリンゴです。ある狩人が立派な牡鹿と出会いますが 狩人は自分一人では全部食べ切れないからころすのは可哀そうだと見逃します。 その後狩人は病で死に、その魂は天へと召し上げられかの牡鹿によって ひとつぶの種へ、そしてリンゴの木へと生まれ変わりました。 殺生を生業とする人でありながら分をわきまえ自然を敬い無駄な殺生をせなんだというわけです。 やがて狩人はリンゴとして娘の手の中へ、大層可愛がられおいしく食べられたのでした。
