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【オーナメントボックス】無情
「はぁ・・・」 私は気を落としながらクリスマスの飾りを片付けていた。昨夜の瑞葵ちゃんの去り際の姿がずっと胸の奥に重いものとして残っている。 「私の努力が足りないのが悪いんだよね・・・瑞葵ちゃんが迷いなく『凪さんが好き』って言えないのは」 なし崩し的に交際できただけで満足しないで、ちゃんと彼女を惹き付ける努力をするべきだったのに。彼氏失格だ。 「お兄、大体片付け終わったよ」 「ありがとう玄葉。今夜の配信の準備があったのにごめんね」 「これくらい大した片付けじゃ無いし・・・てか幽魅さん、さりげなく片付けブッチしたわね」 幽魅も昨日の夜から消えたままだ。あの空気じゃしょうがないけど。 玄葉が部屋に戻り、その後私がツリーを仕舞ったところでインターホンが鳴った。もしかしてシリアちゃんか瑞葵ちゃんかな。 「はーい」 そして、何の警戒も無くドアを開けた私は凍り付き、激しく後悔した。 「話がある」 インターホンを押したのは、紅(ホン)だったのだ。 「どうしてここが・・・私をどうする気だ」 紅は我が家のリビングに上がりこむと、無遠慮にソファに腰掛ける。もちろん私は警戒して距離をとり、お茶だって準備しない。 「この家の住所はエリスロが情報源だ。お前、エリスロに名刺を渡していただろう。そこから調べただけだ」 そう言えば、天ノ杓さんがテロリンだと知る前に仕事関係で名刺を渡してしまっていた。その連絡先などから割り出したのか。 「お前をどうするかという問いに対しては、どうもしない。殺すつもりはない」 「何だって?」 この息をするように人を殺している殺し屋が『殺すつもりはない』だって?到底信用できない。絶対に裏がある。 「お前とは交渉するために来たんだ。こちらにも色々事情があるからな。本題に入るぞ」 紅はスマホを出すと、画面を私に見せて来た。そこに映っているのは、目隠しをされ拘束された下着姿の女性。 「瑞葵ちゃんッ!?」 「やはりお前の関係者だったか」 紅は何でもないように言うとスマホを仕舞う。私は我を忘れ、紅に掴みかかった。 「瑞葵ちゃんに何をした!答えろ!」 「拉致・衣服の簒奪・拘束監禁だ。ただ凌辱はしていない。それをするとお前が必要以上に冷静さを欠く可能性があるからだ」 締め上げられても紅は眉一つ動かさない。私は歯噛みしつつも紅から手を放し、向かい合うようにソファに座る。落ち着いて奴から情報を引き出さないと。 「事の経緯を説明しろ」 「言われずとも。昨夜、タクシー運転手をしているテロリンの構成員がこの女と接触した。見るからに気落ちした様子だったので、テロリンに勧誘できないかそれとなく打診したところ、テロリンの名前を出すより先に構成員だと気付かれたそうだ。それで仕方なく、タクシーに仕込んだ催眠ガスで眠らせて監禁場所に運んだ」 私の家から帰る時に拾ったタクシーか・・・!本当にテロリンの関係者はどこに潜んでいてもおかしくないな。 「女の処遇を決めかねた構成員は、俺に相談の連絡を入れた。俺が丁度日本に来ていて、この町に滞在している事は組織内では共有しているからな」 「・・・日本の幹部は天ノ杓さんじゃないのか。何でいきなりお前が」 「エリスロは年末年始の特番ロケやライブ準備で忙しいんだ」 そうか、天ノ杓さんはテロリストである以前に世間的にはアイドルだからな。この時期は芸能界もハードスケジュールなんだろう。しかし紅が日本にいる時とは、本当にタイミングが悪い。 「俺は女の手荷物を調べ、スマホからお前の写真を見つけた。お前と女が恐らく恋人関係にあると判断し、お前との交渉材料に出来る女だと踏んだ。だから構成員には『下着以外の服を剥ぎ取り、目隠しをして椅子に拘束しろ。もう一人応援を呼び、二人体制で女を見張れ。女が目を覚ましたら、空砲で脅し脱出の意思を奪え。交渉相手の男を過度に挑発する危険性があるので、女への性的な接触は禁ずる』と命じた」 「・・・それだけか。本当にそれだけか?」 「構成員が女に触れたのは『車から降ろす時』と『服を脱がせる時』と『椅子に拘束する時』だけだ」 それなら、とりあえず今現在瑞葵ちゃんは無事だという事になる。だけど、相手は紅。そんな薄氷の上の『無事』なんて全く安心できない。 「・・・分かった。それで、交渉っていうのは何だ?」 「江楠真姫奈を止めろ」 江楠さんを止めろ?意味が分からない。どういう事だか考えていると、紅が続けた。 「現在、テロリンは年末年始にかけて各地の旅客機を爆破する計画を実行中だ。先日オーストラリア発日本行きの便が爆破されたニュースは見たか?あれは俺達の作戦の一部だ。だが江楠真姫奈は早速妨害工作に打って出た。おかげで二機目以降の爆破に支障が出ている。お前が『江楠真姫奈の信頼を得ているエージェント』だという情報は掴んでいる。その立場を以ってして、奴にこの一件から手を引かせるんだ」 どうやら、紅は私が江楠さんの部下だと思っているらしい。実態は違うけど、それを言うと紅は瑞葵ちゃんを殺すかもしれない。ここは勘違いさせておこう。 「断ったらどうする?」 「無論、この女を殺す。この女を拘束している椅子の座面の裏に爆弾を仕掛けてある。俺の操作一つでいつでも爆破できる」 紅の言う事を全て信用する訳じゃないけど、この男は殺すと言ったら本当に殺すタイプだ。今のが嘘じゃない可能性は極めて高い。私は江楠さんに電話した。スピーカーモードに切り替えて会話を始める。 「何だい早渚君、今テロリン対策で忙しいんだが」 「そのテロリンの件です。紅がうちに来ました。瑞葵ちゃんを人質にして、私に要求をしています。『江楠さんに旅客機の爆破を妨害するのをやめさせろ』と」 電話の向こうで江楠さんが眉間にしわを寄せるのが分かりました。 「成程ね、君は私の片腕と言ってもいい存在だ。その君なら私を止められると踏んだか」 流石江楠さんです。状況だけで、紅の勘違いまで見抜いて演技をしてくれました。 「瑞葵ちゃんを助けたいんです。江楠さん、お願いします。今は紅の要求に従って手を引いてくれませんか」 「・・・残念だけどねェ、そうはいかないよ」 拒絶の言葉。私は一瞬頭が真っ白になりました。 「瑞葵君一人のために、何百人と犠牲を出せって言うのかい?馬鹿げてるね、流石にそこまでしてやるほどの価値は君や彼女にない。運が悪かったと思って諦めてくれ」 「そんな・・・!」 「決裂、か」 紅の方からパチンという音がしました。見ると、ライター型起爆装置をポケットに入れるところでした。 「お前を殺すと、江楠や深海を挑発しかねん。今それはマズい。だからお前は殺さない。だが女は殺した。肉片で良ければ持って帰れ」 紅が住所を書いたメモをテーブルに置き、さっと立ち去りました。 「まさか・・・嘘だ・・・」 ぶるぶると震える手。紅の残したメモを何とか掴み、見るとそう遠くない、町外れの廃工場です。 「行かなきゃ・・・無事を確かめなきゃ・・・」 私は全く言う事を聞かない足に鞭を打って、自宅を出ます。 「死んでない、死んでる訳無い。瑞葵ちゃんは大丈夫、大丈夫だから・・・」 そう繰り返さなければ、私は正気を保てませんでした。
