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森のカオス、キノコ汁の犠牲
陸軍情報部分室、非番の訓練用森林。 湿度を含んだ重い空気が、鬱蒼とした木々の隙間から差し込む木漏れ日に揺れていた。地面は昨夜の雨でぬかるみ、落ち葉と泥が混じり合う。 中央で、ブロント少尉――金髪のポニーテールが元気よく跳ね、黒の詰め襟軍服にミニプリーツスカートという活動的な装いだ――が、小さな編みカゴを胸に抱え、満面の、それはもう太陽のように輝く笑顔を浮かべていた。カゴには、茶色や白色の、いかにも美味しそうな食用キノコがこぼれ落ちそうに詰まっている。 「ハッ! 少佐! 見てくださいであります! 私の**『情熱駆動型・高精度生物識別(EDHBID)能力』**の賜物! 究極の兵站資源であります!」 少尉は得意げにカゴを掲げる。その隣に立つリゼット少佐は、紫色のロングヘアをわずかに乱しながらも、いつもの近未来的なスタイリッシュ軍服に身を包んでいた。スマートグラスの奥の瞳は、疲労と諦めをはっきりと映し出している。彼女は優雅な指先で、足元に生えた鮮やかな赤と白の、いかにも猛毒ですと言わんばかりのベニテングタケのようなキノコを、ブチッと音を立てて弾き飛ばした。その仕草には、心底うんざりした感情が滲んでいた。 「轟少尉。あなたの『EDHBID能力』は、特定の食用キノコに限定される。その**『美味いキノコ』**以外の残りの全サンプル――」 少佐は、自分の足元、そして周囲の切り株や落ち葉の陰に点在する、およそ食用とは思えない色彩と形状のキノコ群を一瞥した。 「――全て、致死性のハザードと判断される。この一帯は**『毒キノコ高濃度汚染区域』**として、論理的に立ち入り禁止とすべきです。」 対ブロント班の面々が、迷彩戦闘服姿で周囲に散らばっている。富士見軍曹は黒髪のボブを揺らし、眉間に深い皺を寄せていた。 「少佐…私もそう思います。少尉の選んだ**『美味しいキノコ』以外は、全て危険信号ですよ。これ以上、分室のハザードレベル**を上げないでください…。」 若菜少尉は、ふわふわの茶髪をツーサイドアップにした可愛らしい顔で、不安げに周囲を見回している。しかし、その瞳には少尉のカゴの中のキノコへの微かな期待も宿っていた。 「ハッ! 軍曹! 毒キノコも戦術資源であります! 粉砕して毒性エアロゾルを生成すれば、敵の機能停止確率99%! そしてこの可食キノコは、我々の士気をブーストする究極のキノコ汁となる!」 少尉は、いつの間にか取り出した巨大な寸胴鍋を地面に据えようと格闘し始めた。 「少尉!寸胴鍋で粉末を生成しないでください!そして戦術転用は私の許可が必要です!いや、そもそも毒キノコの使用自体が軍規違反です!」と富士見軍曹が論理的に叫ぶ。 リゼット少佐は、スマートグラス越しに刻々と変動するハザードレベルと、少尉のエネルギー値のグラフを見て、諦めのため息をついた。結局、緻密なデジタル解析能力を持つ自分が、少尉の**「毒キノコを見分けられない」という非効率**を埋めるために、泥だらけの山中で毒キノコの同定作業を強いられているのだ。 「松笠大将からの命令は**『緊急時におけるキノコの有用性を実地分析せよ』です、少尉。毒キノコの利用は論外。この可食キノコの兵站効率と士気向上効果を数値化**するため、最終的な調理プロセスと摂取後のデータ収集を…。」 少佐が言葉を選んで理屈を並べようとしたその時、若菜少尉がキラキラした瞳でカゴの中のキノコを見つめ、無邪気に呟いた。 「キノコ汁って、美味しいですよねぇ! 私、本物のマツタケとか、食べたことないんです! 炭火焼もいい香りって聞きますし…!」 若菜少尉の、あまりにも純粋で無邪気な**「情動的な変数」が、リゼット少佐の論理解析システムに新たな絶望を叩きつけた。少佐は、マツタケという単語が持つ文化的な価値と、それが引き起こす士気向上効果を即座に解析し、自分の使命が単なる毒キノコ鑑定**に留まらないことを悟った。 (リゼット少佐:心の声) 「……マツタケ……! 貴方は、『価値の最大化』という非論理的な目標のために、私の緻密なデジタル解析を、『キノコ汁を作るため』という極めてアナログな目的に奉仕させようとしているのですね、松笠大将……!」 少佐のスマートグラスの表示が、「システムオーバーロード寸前」の警告を赤く点滅させていた。対カオス分室の面々は、少佐の表情の変化に気づき、今度こそ本格的な絶望の表情を浮かべた。彼らは、リゼット少佐という論理の権化が、ブロント少尉のキノコ汁作成のだしにされた瞬間を、静かに、そして泥の中で目撃していたのだった。
