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黒海猫亭のケーキ騒動
夕暮れ時の黒海猫亭。 厨房には甘いバニラと焼き立てのスポンジの香りが充満していた。 「ふぅ……これで仕上げは完璧だね」 チェルキーは緑の髪を後ろで束ね、コック服と黒猫亭のメイド制服を掛け合わせた姿で、ナッペ用のパレットナイフをひらりと回した。 純白の生クリームが滑らかに広がり、上には艶やかな赤いイチゴが芸術的に並べられていく。 「おお……さすが美食の女神の神官にしてシェフ……これは芸術にゃ……」 カウンター越しに黒猫店長がニヤニヤと頷く。 その時だった。 厨房の入り口に、黒猫の耳と尻尾を揺らす化け猫少女──ケティが、そろりそろりと忍び寄ってきた。 瞳はまるで狩人が獲物を狙うようにケーキをロックオンしている。 「……ケティ、それ以上近づいたら──」 「ちょっとひとくち……クリームの味見だけ……!」 ひょい、と伸びる手。 次の瞬間。 「甘いっ!」と叫ぶより早く、チェルキーの手が閃いた。 ケティの口に、余っていた大粒のイチゴがぽんっと突っ込まれる。 「もごっ!? ……んぐ、甘いっ」 「それは摘まみ食いの罰。完成する前に食べるなんて、料理人の魂に対する冒涜だよ」 チェルキーは腕を組み、ドワーフらしい頑固さでケティを睨む。 しかしケティは口いっぱいのイチゴを噛みながら、尻尾をふりふり。 「でもこれ……すっごくおいしいにゃ。ケーキもきっと……」 「“きっと”じゃなくて、出来上がってから確かめなよ!」 パシンと軽くケティの額をはじき、チェルキーは再びケーキに向き直った。 厨房の奥では、フロアからリリスの声が響く。 「シェフー! 出来たらすぐ持ってきてねー! お客さんが甘いのを待ってるよ!」 「はいはい、もうすぐだよ!」 チェルキーは小さく笑みを浮かべ、仕上げのミントをそっと添えた。 こうして黒海猫亭の新作ケーキは、またひとつ伝説を増やすことになる──ただし、ケティの舌にも届くのは、正式な提供後の話である。
