1 / 4
エラーと聖典 ~少佐の論理的活路~
士官宿舎 分室・午後 昼休み、分室はいつもとは異なる、どこか不穏な空気に包まれていた。その源は、ブロント少尉が読み終えたばかりのコミック「ヨヨの奇妙な冒険」だった。 興奮冷めやらぬ様子の少尉は、どこから持ってきたのか、絢爛な装飾が施されたベネツィアのお面を左手に持ち、不意に立ち上がった。 まるで舞台役者のように、右足を前に大きく踏み出し、左腕を腰に当て、謎の角度で首を傾ける。 その身体は、関節が不自然に曲がるかのような、極端なS字カーブを描いていた。 お面を持つ右手の肘は左腰近くまで内側に入り、掌は右肩辺りを指し、左手は無意味に背中側に向けて下から天を差すような奇妙なポーズ。 ブロント少尉は、恍惚とした表情で、独特の低音を発した。 「ゴゴゴゴゴ……」 彼女の背後には、見えないはずの不吉な擬音が視覚化されているかのようだった。 その瞬間、リゼット少佐のスマートグラスが、高速で点滅し始める。 少佐は、ブロント少尉の「ヨヨ立ち」と「ベネツィアのお面」という、軍の論理体系には存在しない情報の組み合わせを演算しようと試みた。 リゼット少佐(内部演算ログ):「『ベネツィアのお面』:祭り用品、装飾品。軍事用途:不明。感情喚起:高。 ……『ヨヨ立ち』:定義不能な人体姿勢。軍事用途:不明。感情喚起:不快感を検知。 ……『ゴゴゴゴゴ』:擬音語。発声源:轟少尉の口腔。物理的意味:不明。」 少佐の眼前の視界は、赤いエラーメッセージで埋め尽くされていく。 リゼット少佐(内部演算ログ):「エラー。エラー。論理的整合性、0.0001%未満。全システム、フリーズ寸前。……この事象は、既存の軍の論理では説明不可能。代替論理の検索を開始する。」 混乱する演算の中、少佐の脳裏に、先日ブロント少尉が読んでいたコミックのタイトルが閃いた。 そして、さらにその深層から、御宅参謀が以前口にしていた、とある情報源が浮かび上がる。 スマートグラスの画面が、激しいノイズと共に一瞬固まった後、新たな検索ワードが入力されていく。 検索ワード:ヨヨの奇妙な冒険 スタンド能力 波紋エネルギー 非論理的行動の軍事応用 そして、さらにその下に、少佐の無表情の奥で、わずかに光る希望を示すかのように、もう一つの検索ワードが打ち込まれた。 検索ワード:リン・ミンメイ書房 歌と戦術の融合論 カオス環境下における情緒兵器の有効性 リゼット少佐は、依然として微動だにせず、ただエラーメッセージと検索結果が入り乱れるスマートグラスの画面を見つめていた。 その表情は、論理が情緒に、現実にフィクションに侵食される、その最終防衛線に立つ将校の姿そのものだった。 彼女の背後、壁にはなぜかプロジェクターでベネツィアの祭りの風景が映し出されていた。 ヨヨの奇妙な冒険の舞台がイタリアであることに思いを馳せたブロント少尉が、昼休み中に勝手にチャンネルを変えたものだろう。 その時、一人の若い女性士官が分室に入ってきた。若菜少尉だった。彼女はブロント少尉の奇妙なポーズと、壁に映る映像を特に気にする様子もなく、笑顔で話しかけた。 若菜少尉:「あっ、この漫画懐かしいですね!従兄のお兄さんの部屋にありましたよ。なんか、変なポーズするんですよねぇ、この漫画に出てくる人たち!」 その無邪気な一言は、ブロント少尉にとってまさに「エンゲージキル」だった。若菜少尉の何の悪気もない言葉が、彼女が必死に作り上げていた「ヨヨの世界観」を瞬時に現実へと引き戻したのだ。 「ひゃああっ!?」 ブロント少尉の顔は一気に真っ赤に染まり、極度の恥ずかしさから表情筋が引き攣った。 奇妙なヨヨ立ちのポーズはそのまま維持しているものの、その体から発せられていたはずの不吉なオーラは消え失せ、残ったのはただの滑稽な姿だった。 その様子をスマートグラスの表示が「LOGIC RESTORED」に変わった目で静かに見つめるリゼット少佐。 彼女のシステムは、カオスからの秩序回復を見届けた。 そして、この「感情誘発型ポーズ兵器(名称仮称)」は、外部からの無邪気な干渉によって容易に無力化されるという、新たなデータを得ることになったのだった。
