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混沌(カオス)の射手
帝国自衛陸軍・長距離射撃訓練場(砂漠地帯) 焼けるような日差しが照りつける広大な砂漠の射撃場。 500メートル先の標的は、肉眼ではかすかな点にしか見えない。 一般的なアサルトライフルで、ましてや光学サイトなしでこの距離を狙うのは、まさに「狂気の沙汰」だ。 リゼット少佐は、ブロント少尉のすぐ傍らに三脚に据えた最新鋭のスポッティングスコープを構えていた。 紫がかった黒髪が風にわずかに揺れ、彼女の理知的な横顔に影を落とす。 軍服の下に着用した黒いシャツとネクタイが、彼女の冷静な分析官としての側面を強調していた。 そのスマートグラスには、リアルタイムで風速、湿度、コリオリ力までもが演算され、ホログラフィックディスプレイに弾道予測データが浮かび上がる。 しかし、そのすべてが、これから起こるであろう「あり得ない」事象への前フリに過ぎないことを、彼女は既に経験から知っていた。 ブロント少尉は、スコープのないアサルトライフルを、まるで長年の友を抱きしめるかのように慣れた手つきで構え、砂利の上に伏せた。 彼女の金色のポニーテールが陽光を反射する。 その瞳は、銃の先、はるか遠くの標的をまっすぐに見据えている。 瞳の奥には、確固たる自信と、わずかな挑発の色が宿っていた。 「少佐。射撃準備完了であります! 照準など、わたくしの意志があれば十分! 光の屈折など、我が信念の前では無意味!」 その言葉に、リゼット少佐は眉をひそめながらも、深く息を吐いた。 彼女のスマートグラスに「RANGE: 500m - WEAPON: AR-15 Class - SIGHTS: IRON」という表示が浮かぶ。 「……開始。」 その瞬間、乾いた銃声が砂漠に響き渡る。一発。ただ一発の弾丸が、遙か彼方の標的へと向かっていく。 リゼット少佐はスポッティングスコープの接眼レンズに顔を寄せ、ディスプレイを凝視する。 その視界に映るのは、陽炎で揺らめく遠い標的と、吸い込まれるように中心を捉える弾丸の軌跡。 スマートグラスのディスプレイには衝撃的なデータが踊った。 「RESULT: BULLSEYE!」 そして、警告を示すかのように赤い文字で。 「WARNING: ACCURACY EXCEEDS SPECIFICATIONS - PHENOMENAL MARKSMANSHIP」 リゼット少佐は、思わずスコープから顔を上げた。 彼女の紫がかった瞳は大きく見開かれ、理知的な表情は崩れ落ち、驚愕と、わずかな諦めと、そして深い困惑が入り混じっていた。 その顔は、まるで「なぜ?」と問いかけているかのようだった。 伏せ撃ちの体勢からゆっくりと身を起こしたブロント少尉は、アサルトライフルを肩に担ぎ、勝ち誇ったような笑みを浮かべた。 その表情は、この結果が当然であると告げている。 「ふふん! 少佐は意志の力を見くびっておりますな! 標的を穿つ強い意志こそ、究極の照準なのであります!」 リゼット少佐は、無表情にスマートグラスのデータをリフレッシュする。 そのディスプレイには、ブロント少尉の脳波データを示すグラフが乱高下していた。 まるで、彼女の脳内で「ヨガの精神集中」と「猫を抱きしめて鳴き真似」が同時に行われているかのようだった。 リゼット少佐は、深い溜息を一つ。再度、冷静な分析官の顔に戻り呟く。 「……やはり、少尉の『人体火器管制システム(H-FCS)』は、特殊作戦における切り札として極めて有用。 しかし、この非論理的なデータを一般兵の訓練ロジスティクスに適用することは、やはり不可能です。」 リゼット少佐は、再び冷静に、そして諦めたように、遠くの標的を見つめ直した。 その一点には、ブロント少尉の「意志」が貫いた、完璧な弾痕が刻まれていた。
